クリエイティブな期間と内向き思考な期間の周期性。どうやって創造しながら想像するか、ってハナシ
交互に繰り替えす期間
最近気づいたんだけど、すごい妄想が捗る時期と、すごい内向き思考になっちゃう時期が交互に周期的にきてる気がする。
ある時期には、やたら妄想が捗って、変なアイディアがばんばん浮かんできて、しょうもないことでもすごく革新的に思える。
またある時期には思考が内向きになって、なにも面白いことを思いついたりすることもなく、なんとなく焦燥感に追われてる。
周期の法則
ここウガンダで過ごした1年間はそういうことを振り返ってみるのにすごく適してるのかもしれない。なんとなく周期に法則があることに気がついた。
それは、創造してるときに、想像できないってこと。
なんかこれは矛盾しているというか、なんかこんな風に聞くと違う感じを受ける。でも、実際そんな感じ。
例えば、今。僕は今現地の人向けにWebサービスを開発しているのだけど、結構最近思考が内向きになっている。新しいアイディアを思いついて興奮することが少ない。
ということで、「創造」なんてカッコいい言葉は使いづらいけど、今まさに何かに集中してイチからそれを作り出そうとしているわけで。
このアイディアを実現することだけに集中しよう!と覚悟し始めて計画するあたりではすごいしょうもないアイディアや妄想がバンバン浮かんでいたと思う。
この時期はいろんなことに感動していたし、常にワクワクしていたと思う。
全体性と専門性のバランス
理系の人なら、一度は悩んだことがあるんじゃないかと思うのだけど、全体性と専門性のバランスって難しい。
以前の日本なら全体性を失っても専門性を持っていれば企業で一生働いて生きていくことができた。
だが、日本経済の低迷も続き将来の保証を国さえできない今、「創造性」みたいな抽象的なものが話題に上がるようになってさらに、”人間の全体性”にスポットが当てられることが多くなった。
今やエンジニアは技術(専門性)だけでは生きていくことさえ確実ではなく、創造性のような人間としての全体性(または専門領域とは別の領域)をも求められるようになってしまった。
だから技術の勉強ばっかしてても不安になる。でも技術の勉強ばっかしてないと世界水準のそれなんて獲得できない。
周期性と全体・専門性のリンク
ようは、この周期性の話は、この全体性と専門性の話とリンクしているんじゃないか、ってこと。
全体性に重心があるときには想像性が研ぎすまされて、専門性に重心があるときには創造性が研ぎすまされる。
2つのものって相反してて矛盾しているようにも思える。
何か、それらを両立させる方法はないものなのだろうか。
意図的に、何かのプロジェクトに満身創痍コミットする期間と、いろいろな興味のあることに手を出してみる期間を分けるとか?
両立の道があるとすれば、コミットするプロジェクトを1つ決めて持ちながらも、それとは別に、付随する小さな興味をたくさん持っておくとかかな。(そしてそれは実際に行動に移す必要がある)
この記事はイーロン・マスクの本に触発されて書き始めたんだけど、彼のスタイルはこんな感じのように思える。
ううむ...。
まぁあとは、この流れに身を任せてしまう…とか。